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キリスト教

キリスト教

キリスト教は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。「父と子と聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。
キリスト教の聖典(聖書)には、ユダヤ教から受け継いだ旧約聖書と、キリスト教独自の聖典である新約聖書がある。 「旧約」、「新約」という名称は、前者が神と人間との間に結ばれた旧来の契約であり、それに対して後者がキリストにより神と新たに結ばれた契約であるとみなしている事による。
世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。
※イエスの復活はイエスがメシア(救世主)である事の実証です。イエスの復活がキリスト教成立に最も重要な現象です。
引用:Wikipedia

キリスト教とは

ユダヤ教を母体としてイエスが始めた宗教。神の愛を説くイエスの教えは使徒によって広められ、イエスを救世主(キリスト)と信ずる人びとによって、キリスト教として体系づけられてローマ世界に広がり、ローマ帝国による厳しい弾圧にもかかわらず、民族、階級を超えた世界宗教に成長した。このようにキリスト教は現在多くの教派に分かれているが、それらを総合すれば、仏教・イスラーム教とともに世界の三大宗教の一つとして現在も大きな影響力をもっている。
また3世紀ごろまでには『新約聖書』がまとめられ、教義も調えられた。ローマ帝国の3世紀の危機を克服して、帝国支配の安定をはかるコンスタンティヌス帝は、313年にミラノ勅令を出して、ローマ帝国におけるキリスト教を公認し、それによってキリスト教に対する迫害は終わりを告げた。同時に、イエス死後数百年を経てその教えの理解にも違いが生じていたため、教義の統一がはかられ、325年にニケーア公会議を招集し、アタナシウス派の三位一体説を正統の教理と定めた。その後のローマではユリアヌス帝(背教者)がローマの神々への信仰を復活させたことがあったが、392年にテオドシウス帝がアタナシウス派のキリスト教の国教化し、他の宗教を禁止した。これによってアタナシウスはキリスト教は国家の正統教義として認められ、ローマ教会の権威は確立した。しかしまもなく395年にはローマ帝国は東西に分裂する。
信者数:20億人
聖典:旧約聖書:新約聖書

引用:世界史の窓

ナザレのイエス

イエス・キリストは、紀元前4年頃古代ローマ帝国支配下のユダヤに生まれる。イスラエルのガラリヤ地方の小さな村ナザレに住んでいたマリアは、ダビデ王の血を引く大工ヨセフと婚約。ある日、神の使いが彼女の側に現れて、彼女がやがて処女のままで身ごもることを告げます。
イスラエルは、当時、ローマ帝国の圧制下にあり、旧約聖書に預言されているメシア(救い主)の出現を信じていました。そして、預言どおりマリアは処女懐胎します。
時は過ぎ、洗礼者ヨハネが現われ、人々に罪を悔い改め神に従う生活をするように説教していました。イエスはヨハネの洗礼で受けます。イエスを見たヨハネは、この方こそが神の子で世の人々の罪すべてを一身に担う人であると悟ります。
イエスは、30才を過ぎてから公の活動をはじめます(約3年間)娼婦で多くの罪を犯してきたマグダラのマリアをはじめ、貧しい者、病める者たちにその罪を赦し、癒しを与え、その救いによって人々の魂に平安と希望をもたらします。人々は、そんな彼こそが、聖書に約束されているメシアであると信じるようになります。しかし、そうしたイエスに恐れと妬みを抱いて心よく思わないユダヤ教の指導者たちは、イエスを亡き者にしようと企てます。そんな企てにイエスの12人の弟子の1人、ユダが陥り、逮捕されたイエスは、罪のないままに罪人としてゴルゴダの丘で、十字架の刑に処されてしまいます。(紀元後30年頃)
死後三日目に復活します。そして復活より50日目の聖霊降臨の出来事によって、イエスこそ旧約聖書で予言されていた救い主キリストであると信仰告白する教会が誕生しました。これがキリスト教の始まりです。

キリスト教の歴史

AD30 エルサレム教会誕生 イエスの昇天後、エルサレムにいた弟子たち(12使徒)がキリスト教会を設立し、伝道が始まった。東はインド、南はイエメン、北はバクトリア、さらに中国、西アフリカ、カルタゴにまで伝道した。
AD34頃 パウロの回心 パウロの元の名はサウロ、熱心なユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害していた。ある日、ダマスカスに向う途中、突然天からの光に照らされて落馬した。「サウロ、なぜ私を迫害するのか」サウロは訊ねた。「あなたはどなたですか」「私はイエスです。さあ、町に行きなさい。これからあなたがなすべきことを知るでしょう」 サウロは起き上がって目を開けたが、何も見えない。盲目になったサウロのために、キリスト教徒アナニアが祈った。するとサウロの目からウロコのようなものが落ちて目が見えるようになった。こうしてサウロはキリスト教徒になり、パウロと名を変えた(パウロの回心)。パウロは12使徒ではないが、新約聖書の著者の一人で、キリスト教の伝道に大きな役割を果たした。
キリスト教徒への迫害 ローマの宗教政策は寛容で、ローマの神々や皇帝の像を礼拝すれば全ての宗教が許された。ただ、ユダヤ教は例外で、皇帝を礼拝しなくても許された。 当初キリスト教はユダヤ教の一派と思われていたため、皇帝礼拝は免除された。しかし、別の宗教であることがはっきりし、皇帝礼拝も拒んだため迫害が始まった。また、礼拝集会は人肉を食べる秘密結社と噂され、迫害が激しくなった。
AD64 皇帝ネロの迫害 ローマ帝国の第5代皇帝ネロ(Nero)の時代にローマで大火が発生した。この火事はネロが新しいローマを建設するため、狭くて不潔な旧市街を焼き払ったという噂が流れた。ネロはこの噂をもみ消すためにキリスト教徒を放火犯に仕立てて虐殺した。大火後、ネロはローマを火災に強い都市に作り変えた。ローマは広い道幅で区画整理され、消火用器具や水道が整備されるなど町並みは一変した。
AD70頃 福音書 福音書とはイエスの言行録のことで、新約聖書の中のマタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書の4つがある。福音とは、良い知らせ(good news)という意味でイエスの死と復活を伝えることが目的である。
AD200前半 カトリック教会 カトリックとは普遍的といった意味で、アンティオキア司教イグナティオスが初めてカトリック教会という言葉を使った。現在ではペトロを初代ローマ教皇とするローマ・カトリック教会のことを指す。
AD300 ローマ帝国の迫害 ローマ帝国は、国家方針としてキリスト教弾圧をした。また、4世紀初頭のディオクレチアヌス帝は、各地の教会の破壊を命じた。
AD313 ミラノ勅令
キリスト教公認
激しい迫害にもかかわらずキリスト教は広まった。
キリスト教徒を敵としてはもはやローマ帝国の統一が困難となった。313年2月コンスタンチヌス1世 (大帝) がリキニウス帝とミラノで会見した際に発した勅令。キリスト教を初めて公認し,長かったキリスト教迫害に終止符を打った画期的なもの。キリスト教の信教の自由の認可,教会の没収財産の返却などが定められた。
AD325 ニカイア宗教会議(第1回)
三位一体説
コンスタンティヌス帝は、キリスト教の教義を統一するためキリスト教関係者300人を小アジアのニカイア (トルコのイズニク)に召集した。当時は次のような宗派があった。
・アタナシウス派・父と子と聖霊が一体の神である。三位一体説。
・中道派・カエザレアのエウセビオス。
・アリウス派・創造主の神は唯一で、子なるキリストとは別である。
会議の結果、中道派がアタナシウス派と結んで、「父(神)と子(キリスト)は同質である」 とし、「異質」 を主張するアリウス派を排除した。また、地方によってバラバラだった復活祭の日付を確定した。
AD375頃 教皇の概念 ローマ司教ダマスス1世は、新約聖書の第1使徒ペトロに関する記述から、教義の決定権はローマ司教にあると主張した。
AD392 キリスト教を国教 テオドシウス1世は、キリスト教を国教とし異教神崇拝を禁じた。アタナシウス派の教義が採用され、根強い勢力を持っていたアリウス派は最終的に追放され、ゴート族、ヴァンダル族などの民族大移動前の東ゲルマン人の間に広まる。
AD395 ローマ帝国東西分裂 テオドシウス大帝の死後ローマ帝国は東西に分裂する。
AD397 新約聖書 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによるイエスの言行を記録した福音書、使徒の活躍を述べた使徒行伝、書簡集を集めた新約聖書がギリシア語で2世紀中頃までに書かれた。
AD500 五本山 5つの総大司教座、いわゆるカトリック5本山が成立した。
・ローマ教会(帝国首都)
・コンスタンティノープル教会(帝国第2首都)
・アンティオキア教会(シリア州都)
・エルサレム教会(ユダヤ州都)
・アレクサンドリア教会(エジプト州都)
AD500半ば ローマ教会 ゲルマン民族の侵入と西ローマ政府崩壊の混乱の中で、ローマ教会やローマ司教の地位は高まった。 キリストの使徒ペテロの墓地の上に建てられたローマ教会は、他の教会よりも上に立った。その指導者ローマ司教は、初代司教ペテロの後継者で教皇と呼ばれた。ここにローマ・カトリック主義の基礎が固まった。

三位一体の神

キリスト教において、神は一つであり、かつ父・子・聖霊(聖神)と呼ばれる三つの位格があるとされる。このことから、キリスト教において神は三位一体と呼ばれる。「父・子・聖霊」のうち、「子」が受肉(藉身)して、まことの神・まことの人(神人)となったのが、イエス・キリストであるとされる。
三位一体論が難解であることはキリスト教会においても前提となっている。例えば正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。カトリック教会においても、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、神の御子の受肉と聖霊の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる。

キリスト教諸教派

9世紀に最初の分裂。東西二つの教会に分裂
・東方教会は「正教会」(オーソドックス、ギリシャ正教会)
・西方教会は「ローマ・カトリック」と呼ばれています。
16世紀に二番目の分裂
・プロテスタント

■カトリック教会 12億人
カトリック教会は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。
■正教会(東方正教会)2億人
ギリシャ正教もしくは東方正教会とも呼ばれる、キリスト教の教会(教派)の一つ。
■プロテスタント4億
プロテスタントは、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。

◎ギリシャ正教会
正教会における独立正教会のひとつ
◎ロシア正教会
正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つである。
◎イングランド国教会
もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。プロテスタントに分類されることもあるが、他プロテスタント諸派とは異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となって、カトリック教会から分裂したため、典礼的にはカトリック教会との共通点が多い。

◇正統派キリスト教の三大異端◇
エホバの証人(ものみの塔)
モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)
統一教会(世界基督教統一神霊協会)
※イエスが神でなく、三位一体の教義も否定する(神に対する認識の違い)などによってキリスト教と呼ぶには重大な差異があり、別の新宗教と分類されます。※

キリスト教諸教派の一覧
キリスト教諸教派の一覧
出典:キリスト教諸教派の一覧

キリスト教三大宗派について
三大宗派
出典:キリスト教三大宗派について解説

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