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ユダヤ教

ユダヤ教

ユダヤ教は、現存する世界の宗教の中では最古級の宗教です。
『ヘブライ語聖書』(旧約聖書)の創世記によれば、神とアブラハムとの間で交わされた契約により始まる宗教でその成立時期は紀元前2000年頃のこととされています。引用: 宗教を語る

ユダヤ教とは

ユダヤ教は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教で「世界最古の宗教」といわれています。ユダヤ人の歴史は、紀元前20世紀頃のアブラハムが起点となりますが、ユダヤ教は、紀元前13世紀(推定:紀元前1280年頃)のモーセが神から授けられた「十戒」によって、ほぼ現在につながる宗教として確立しました。なお、ユダヤ教はキリスト教とイスラム教を生む母体となった宗教です。そのため、信仰する神の呼称は違いますが、同じ唯一の神を崇めています。
信者数:約1400万人
成立時期:紀元前13世紀頃(紀元前1280年頃)
創始者:モーセ
聖典:旧約聖書 モーセ五書(トーラー):タルムード(口伝のトーラー)引用:聖書と歴史の学習館

モーセ五書(トーラー):旧約聖書の最初の5つの書である。「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」(キリスト教の『旧約聖書』と同じ書物)
タルムード(口伝のトーラー):法規的解釈や物語伝承を口頭で伝えた

十戒

ユダヤ教の律法は、出エジプトの預言者モーゼがシナイ山で神から授けられた十戒が全ての基礎となっています。

  • 私はあなたがたの神である。私以外の者を神としてはならない。(唯一神)
  • 像を作ってそれを拝んではならない。(偶像崇拝の禁止)
  • 神の名をみだりに口にしてはならない。(神の名)
  • 6日働いたら7日目は祈りのために休め。(安息日)
  • 父と母を敬え(先祖を敬え)
  • 殺してはならない。
  • 姦淫してはならない。
  • 盗んではならない。
  • 嘘の証言をしてはならない。
  • 隣人の家をむさぼってはならない。
BC1900 アブラハムの一族が、メソポタミアのウル(現在のイラク南部)から部族を引き連れてカナン(パレスチナ)に移住。 アブラハムの契約によりカナンの地に導かれたユダヤの民は飢饉などにより、エジプトに移住したが、やがて奴隷として暮らすようになる。
BC1250 モーセに率いられてエジプトを脱出(出エジプト) モーセはシナイ山で神に「十戒」を授けられる(シナイ契約)が、40年も荒野を彷徨う。
BC1300 モーセの後継者ヨシュアが率いるイスラエル諸部族(十二氏族)、彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に侵入
BC1000 ダビデ エルサレムをイスラエル統一国家とする。イスラエルの民十二氏族全体の国王となる。第一神殿時代
BC928 イスラエル統一王国は、ダビデ王、ソロモン王の治世に最盛期となるが、ソロモン王の死後、イスラエル王国(北の十氏族)とユダ王国(南の二氏族)に分裂。
BC721 イスラエル王国アッシリアに滅ぼされる(失われた十氏族)
BC586 ユダ王国新バビロニアに滅ぼされる-エルサレムの第一神殿殿破壊される。唯一残った西壁が現在の「嘆きの壁」 ユダ王国の多くの人々がバビロンに連行される。バビロン捕囚時代
BC586〜BC538 バビロン補因時代 *捕囚されたユダ王国の人々は故郷を忘れず、エルサレムを想い続けた。(征服された民族はこれまでに幾度もあっただろうが、期間が約50年と短かったのが幸いしたのか、彼らの思いがそれほど強かったのか、この出来事がユダヤ教成立に大きな影響を与えることになる)
BC538 ペルシア王、捕囚されたユダヤ人にエルサレムに帰還を許可バビロンにいたユダヤ人15万人のうち、約4分の一がエルサレムに帰還・第二神殿時代
BC400 トーラー(旧約聖書の最初の5書:モーセの5書)結集
BC63 エルサレムローマ帝国の支配下に置かれる。
BC7〜BC4 イエス誕生
AD30 イエス エルサレムで十字架に処される。(ゴルゴダの丘、現在は聖墳墓教会に)
AD63 ユダヤ戦争-エルサレムのユダヤ人、ローマ帝国に反乱鎮圧される。第二神殿破壊 「嘆きの壁」=「西壁」だけが残る。ユダヤ人の世界への流浪が本格的に始まる。(ディアスポラ)
AD1948 その後シオニズム(イスラエルに故郷を再建)運動により1948年イスラエル建国

現在のアラビア半島
アラビア半島地図
出典:気ままに来らむ 時空をこえて』!

ユダヤ人の定義

■ユダヤ人の母親から生まれた者
■ユダヤ教に改宗した者で、他の宗敦に帰依していない者(ユダヤ教信者)

ユダヤは元々民族国家だったが 幾度も国民が散り散りにされたディアスポラを経て 各地に離散した氏族が現地の人間と混血し、姿形が多様化するようになった。
ある者は白人、ある者は黒人、ある者は黄色人種へと。そうして見た目の区別がつかなくなり、使用言語もバラバラになった。
「ユダヤ人」とは遺伝学的な人種を指す呼称ではなく、ユダヤ教を信仰する人々を指す。引用:『ユダヤ人』 の定義

ユダヤ人の迫害

■十字軍時代に迫害始まる
ユダヤ人に対する迫害が始まるのは、11世紀末に始まる十字軍時代以降のことであった。キリスト教徒は「利子をとってはいけない」という教えに縛られていたのに対して、ユダヤ人は「金貸し」(金融業)が許されていたことから、商業の復活に伴って豊かになっていった。それは貧しいキリスト教徒の恨みをかうこととなった。キリスト教徒はユダヤ教徒がイエスを救世主として認めないこと、イエスを裏切ったのがユダヤ人だったことなどを口実に、しばしば激しい迫害、時として集団的な虐殺(ポグロム)を行うようになっていった。またスペインやイギリス、フランスでは国外追放にされたり、一定の居住地(ゲットー)への強制移住を強いられることとなった。
とくに14世紀のヨーロッパで黒死病が大流行すると、キリスト教徒の不安がユダヤ人に向けられ、多くの迫害が行われた。当時はイギリスとフランスの百年戦争とその間の農民一揆の多発、教会の大分裂と教会批判の始まりなど中世ヨーロッパが転換期にさしかかっていたと言える。カール4世の治下のドイツでも大規模なユダヤ人迫害が起こっている。
■Episode 黒死病とユダヤ人迫害
ヨーロッパで黒死病が大流行したとき、キリスト教世界で偏見を持たれていたユダヤ教徒であるユダヤ人がその「犯人」ではないかと疑われた。ユダヤ教徒が井戸に毒を投げ込んだのだという噂がまことしやかに語られたという。それでなくともユダヤ人への迫害は激しくなっており、1287年にはイギリスのエドワード1世は国内のユダヤ人をすべて捉え、身代金を払わせた上で国外追放にした。黒死病の流行が始まると、ドイツやスイス、フランス、スペインなど各地でユダヤ人が捉えられ、私刑にあって殺害されたり、ゲットーが襲われたりした。
■スペインでのユダヤ教徒追放令
イベリア半島ではイスラーム政権の下でユダヤ人はジズヤを負担すればその信仰は認められたので、共存が果たされ、商業や学術の上で重要な働きをしていた。しかし国土回復運動(レコンキスタ)の進行する中でカトリック教会への強固な信仰が形成され、次第に不寛容となり、迫害が強まった。そのため多くのキリスト教への改宗者(コンベルソ)が出現した。コンベルソも学者や官僚として活躍するものが多かった。そしてカトリックによる統一国家の建設をめざすイザベラは、異端審問などで異教徒を取締り、1492年、グラナダが陥落してレコンキスタが完了するとともに、ユダヤ教徒追放令を出した。そのためにユダヤ人は改宗者(コンベルソ)として残るか、イベリア半島を離れるかを迫られ、その多くがイベリア半島を離れた。
1348年のフランスでのユダヤ人大量虐殺では多数のユダヤ人が子供や財産を奪われ、火あぶりとなりました。
このような事例は珍しくなく、実は歴史上11世紀ごろから20世紀まで、遡ればもっと以前からずっと続いていました。引用:世界史の窓

ユダヤ人のネットワークの起源

▲権力への適応ではなく、迫害・離散への適応という形で発展したユダヤ教
多くの国際宗教は、時の権力者や、文化、歴史的経緯、人々の都合によってそれぞれ改変されながら変化していった歴史を持ちます。時代に適応できなかった宗教は絶滅し、適応した宗教は長期間存続しました。ユダヤ教は通常の適応進化とは全く異なる宗教の歴史を持っているのが特徴です。

▲ユダヤ戦争後、ヨーロッパのユダヤ人は離散してヨーロッパ各所に小さいコミュニティを形成していきました。
ユダヤ戦争は、ユダヤ人のヨーロッパにおける離散の原因となりました。その後、ユダヤ人は各地で追放されたり迫害にあうたびに、移動するという性質を持ちます。彼らは国土を持たず、「土地を大切にする」という考えかたよりも「自分たちが迫害から逃れる」という考え方を強く持つことになったのです。

▲古代において、すでにユダヤ人はヨーロッパから東アジアまでの北半球全域に分布し、独自のネットワークをもっていました。といっても、アジアのユダヤ人とヨーロッパのユダヤ人が直接通信を行っていたわけではありません。それは宗教と文化によるゆるやかなつながりでした。
流浪の民であることを選択したユダヤ人は国に所属するという感覚を持ちません。そのような民族がなにを獲得していったのでしょうか?

▲教育の重視
ユダヤ教徒は借金をしてでも子供を大学に行かせようとします。ユダヤ教は勉強することが神に仕えることであると考えます。財産を失ってでも本を手に入れようとし、また本で得た知識をユダヤ人同士で共有しようとします。カネやモノなどの財産は迫害され続けたユダヤ人にとっていつでも没収されうるものだったからです。
知識や経験は命ある限り奪われない究極の財産でした。

▲ユダヤ人は生涯勉強する
教育重視は、実は中世に発達した国際宗教としては特殊な性質です。中世において、どの国でも平民は文字が読めなくて当たり前でした。また、支配者としては、民衆が外国語を覚えたり、知識を蓄積していくことは都合の悪いことでもあったのです。

▲ユダヤ人は丸暗記する
知識や経験が命ある限り奪われない究極の財産ためにはどうする必要があるでしょうか?
ユダヤ人は、書物を納得するまで理解するだけでなく、完全に思い出せるほどに記憶します。そうすることで、もし書物が没収されても、再び口述していくことができるからです。
ユダヤ人が、学び、暗記し、伝える、という行為の、宗教的背景は、文字通り、民族の命運を担保するものだったのです。

▲保険の発明
保険制度を発明したのはユダヤ人です。本来、皇帝や教会の支配下にいる中世の平民は保険制度という概念がありませんでした。一方、ユダヤ人は中世にはすでに北半球全域に分布し、互いに貿易を行うことを得意としました。貿易には常に失敗が伴いますから、そのリスクを証書としてリスクを負担できる者がそれを分配して負担するという考え方が成り立ちます。これが保険のはじまりです

▲株式の発明
保険というのは事が起こった時に、リスクを負担する考え方です。一方、株式というのは利益が生まれたときに利益を分配する証書です。これは、プラスとマイナスの符号が異なるだけで本質的には同じものです。
ユダヤ教徒は、やがて保険だけでなく株式をも発明し、結果的に世界的な貿易ネットワークを他の民族より早い段階でシステムとして構築しました。これらの証書によるつながりは、顔を合わせない見ず知らずの者同士でも成立します。
一方、証書のない貿易では、売り手は買い手に会いに行く必要が生じてしまいます。

▲会計技術の発達
保険・株式は、根拠のあるものでなければただの紙切れにしかなりません。すなわち、想定されるリスクや利益を定量化し、合理的な根拠をもって受け取り主に説明できる必要があります。そして受け手は必ずしも会って説明ができる場所に居るとは限りませんでした。そのため、共通の信用できる会計技術が必要となりました。株式や保険の規模が大きくなるにつれて、より細部まで理解できる者と、理解せずに関与するもののリスク格差が増大します。

▲北半球全域に広がったネットワーク
早い段階で、離散したユダヤ人は、宗教によって遠く離れていても価値観を共有することができました。また、彼らの教育は、北半球に離散したユダヤ人が一定の知識を共有し続けることを助けました。そのため、北半球全域にわたる貿易が可能になったのです。
貿易によって持ち込まれた火薬、羅針盤、活版印刷は、のちの大航海時代や宗教改革、市民革命を引き起こすことにもなりました。

▲現代を生きる日本人でさえ、そのほとんどが、保険や株式の価格や利回りがどのように決まっていくのか説明できません。一方、ユダヤ人は家族の全てがそれを理解したり、あるいは宗教的な概念として身に着けているのです。
集団として、概念を持つことができるユダヤ人あなたは、そこにリスクがあっても、家族にそれを説明し納得させることができるでしょうか?そこに利益があっても同僚にそれをストレスなく説明できるでしょうか?宗教的に価値感覚を身につけている社会は、そうでない社会とまったく異なる振る舞いをします。

▲13世紀:制限されるようになっていったユダヤ人の経済活動
初期の資本主義社会におけるユダヤ人の圧倒的強さ。もともと、ヨーロッパの非ユダヤ人は金融と無関係な生活を営んでいました。たとえばキリスト教徒はカネを扱うこと自体を禁忌としており、税として農作物や製品を教会などに納めていたのです。また、職人達も職業組合(ギルド)を形成し、決められた価格で仕事を請ける体系ができていました。そのような社会で、宗教や生活習慣の中に金融感覚のもつユダヤ人と、それらを抑制させられていた非ユダヤ人がある競争に晒されるとき、あっという間に資本によって支配されるという状態をキリスト教徒は経験することになります。

▲ローマ帝国が成長し、まさに最高潮のとき、インノケンティウス3世はユダヤ人による金融業を明確に制限します。その背景には、許容できないほど容易にユダヤ人が貴族や聖職者を借金によって支配してしまうという構造があったためでした。引用:長い歴史のあるユダヤ人迫害

四大宗派について
三大宗派
出典:四大宗派について解説

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